大河ドラマ

日曜日ですが引きこもり生活のティーグです

日曜日って大河ドラマの放送日ですよね

だいたい毎年同じ事を繰り返してますが

最初の一ヶ月はなんとか続けて見てます

その後にだんだん録画が溜まり気味になり(笑)

2月中か3月には諦めるというパターン(滝汗;)

最近では最後まで見れたのは龍馬伝くらいです

去年のは「江」でしたっけ?

つまらなくて3話で降参しました(爆)

今年の大河ドラマは「平清盛」


今の所,毎回見てます(^◇^;)

清盛の時代ってちょうど去年の今頃

崇徳上皇の怨霊について書いたのとまったく同時代

忘れてますか?忘れてますよね~((´∀`*))ヶラヶラ

保元サスペンス劇場 と 保元オカルトストーリー

天皇家の系図では崇徳は鳥羽の子という事になってますが

実際は鳥羽の祖父の白河法皇が鳥羽の后に孕ませた子が崇徳で

その事に端を発し保元の乱が起こり崇徳が怨霊になり

武士が天皇家や貴族に代わり天下を取ってしまうという歴史でした

平清盛は崇徳とまったく同時代,清盛の方が1歳お兄さんです

ドラマでは白河法皇が白拍子を孕ませ生まれてきた男子を

平忠盛が引き取り育てたストーリーになってます

平家物語にもそう書いてありますね

実際にはどうなのかはわかりませんが

白河法皇ならやりそうな事です

さて今年の大河,ティーグはどこまで見続ける事が出来るでしょう(滝汗;)

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そうだ!満月と大寒だったんだ

月を見て昨日書こうと思った事を思い出したティーグです

昨日は満月で大寒でした

だから暦のこと書こうと思っていたんですよね~

ティーグが使っているカレンダーには大寒とか立冬などの二十四節気と

大安だとか仏滅だとかの六曜も書いてあるんですが

これに旧暦が書いてあるととても便利だと思うんですよね~。

旧暦,つまり太陰暦ですけれど

月の満ち欠けを周期にしてますからとても便利

だって1日が新月で15日が満月だからその日が大潮


釣りに行く予定が立てやすい

じゃないですか(爆)

予定を立てやすいのは釣りだけじゃないですけど


たとえば本能寺の変

この日は天正10年6月1日,闇夜でした。

街灯なんて当然ないですから月が出ていなければ

真っ暗だったことでしょう。

明智光秀は闇夜に乗じて織田信長が急襲したんですね。

これが晴れた満月の夜だったら歴史が変わっていたかも(滝汗;)

満月と新月を自分でカレンダーに書いておけばいいって

意見もあるかもしれませんが

それを言ったら身も蓋も情緒もないじゃないですか(≧▽≦)

太陰暦の復活を切に願うティーグでした(爆)

旧暦にちょっとでも興味が湧いたらポチッとね

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保元オカルトストーリー

今朝ジョギングに出たら雪が積もりだして諦めたティーグです

yukigeshiki

この冬の初雪でしたブルブル ((;゚ェ゚;)) ブルブル

保元の乱の後半です。

教科書的にはこれからが保元の乱ですが

その前に何があったかを知らないと

どうして保元の乱なんて事が起こったか理解できないです。

白河法皇は絶大な権力を手に入れた上に

自分の欲望のままに好き勝手な事をしていました。

孫の嫁と不倫をして子を産ませた。

孫の鳥羽天皇にしてみればその子は自分の子ではなく

祖父の子供,つまり父親と兄弟って事です。

叔父子とはそういう意味です。

鳥羽天皇がどんなに悔しい思いをしていても

相手は時の最高権力者である祖父,どうする事も出来ません。

法皇は顕仁が鳥羽が即位した時と同じ5歳になると

鳥羽天皇を退位させ顕仁を天皇の位につけてしまいます。

これが崇徳天皇です。

この時点で鳥羽は上皇になったわけですが

まだ祖父の白河法皇が健在なので何の権力もない

ただの「元天皇」にすぎませんでした。

ところが権勢を欲しいままにした白河もこの6年後ついに崩御

崇徳天皇が11歳の時(1129年)のことです

最高権力者になった鳥羽上皇の復讐がここから始まります

コワ━━━((;゚Д゚))━━━!!

鳥羽は崇徳を天皇の座から引きずり下ろし本当の自分の子を

天皇にしようとします。当然ですね。

しかも自分の子であっても祖父と不倫をした待賢門院の産んだ子には

継がせたくない・・・・

鳥羽が最も愛した女性は藤原長実の娘得子(美福門院)でした。

得子が1139年に男子躰仁親王を産むと直ちに崇徳の皇太子にします

そして2年後には崇徳に天皇位を譲るように命じました。

この時鳥羽は崇徳を騙して譲位させました。

宣治には躰仁を皇太子ではなく皇太弟と書いたのです

天皇の父であれば後に院政をおこなう事も出来ますが

天皇の兄ではなんの権力も持てないのです。

ここで崇徳が治天の君,すなわち最高権力者になる道を

閉ざされてしまいました。

しかし即位して近衛天皇となった躰仁が早死にすれば

崇徳が再度天皇になる(重祚)か息子の重仁が即位することになり

再びその道が開けます

果たして近衛天皇は17歳の若さで亡くなってしまいました

当然崇徳は自分か息子が即位するものと思います。

他に候補者は居なかったのですから。

鳥羽にしてみれば祖父と不倫した待賢門院の産んだ子ではなく

最愛の美福門院の産んだ子を天皇にしたくて10年も待ったのに

その子が死んでしまったのです。

崇徳上皇が呪詛したのだと考えましたヒィー(>ω<ノ)ノ

崇徳には絶対に天皇の座を渡したくない鳥羽は

仕方無く待賢門院の産んだ雅仁に皇位を継がせました。

崇徳以外に待賢門院が産んだ子はすべて鳥羽の子ですから。

これが後白河天皇です。

しかし雅仁は近衛の12歳年上,弟から兄へと異常な皇位継承です。

鳥羽が崇徳を嫌うのは「妻と祖父との不倫の子」という事から

仕方のないことかもしれませんが崇徳の罪ではありません。

崇徳の方は自分が悪い訳でもないのに

これだけ憎まれてはたまりませんヾ(#`Д´#)ノ

崇徳はどうしたか

武力で政権を奪おうと決心しました。

具体的には1156年鳥羽上皇が亡くなると

やはり冷遇されていた藤原頼長と組み平家弘,忠正,源為義,為朝らに

檄を飛ばし反乱の兵を挙げました。

これに対し後白河天皇側も鳥羽上皇が死んだら乱になると予想し

平清盛,源義朝らに声をかけておいた。

この戦いが保元の乱です。

ちなみに平忠正は清盛の叔父であり源為義は源義朝の父親ですよ。

この戦いは一晩で決着が付きました。

夜襲を掛けられた崇徳側は大敗してしまいました。

頼長は戦死,崇徳は仁和寺に逃れ髪を切りました。

戦いに勝った後白河天皇の下した処分は

考えれないほど過酷な処分でした。

平忠正の処刑を甥の平清盛に命じ

源為義の処刑をなんと実子の義朝に命じたのです。

「父を処刑せよ」こんな残虐な命令を下した王は世界中探しても

後白河天皇以外に見あたりません。

そしてなんと源義朝はそれを実行したのです。

恐ろしい話です

そして崇徳上皇は讃岐に流されました。

ここまでが教科書に載っている保元の乱です

しかしティーグの保元の乱の解説はここで終わりません( ̄ー ̄)ニヤリ

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保元サスペンス劇場

今回は長いです。サスペンスドラマの嫌いな方はスルーしてください

保元の乱は後の平治の乱とあわせて武士が台頭する

きっかけとして歴史的にはとらえられていますね。

しかし実際に起こった事はまるで

「家政婦は見た!」のサスペンスドラマの世界

不倫有り兄弟同士の殺し合いありとドロドロの人間関係が

繰り広げられます

保元の乱は1156年崇徳上皇が弟の後白河天皇から

政権を奪い返そうと起こした反乱ですが

その原因は白河天皇の即位まで遡ります。

白河天皇の父,後三条天皇は摂関政治を終わらせた天皇でした

摂関政治とは藤原氏の娘を天皇家に嫁がせ

生まれてきた子供を皇位に付け

天皇のおじいちゃんとしての立場を利用して権勢をふるったのでした。

ところが藤原頼通・教通の時代に藤原家が送り込んだ娘に

皇子は生まれず三条天皇の娘禎子内親王を母にもつ

後三条天皇が誕生したのです。

しかも藤原系では無かったことでなかなか即位できず

即位したときには35歳という壮年。

藤原氏の圧力に屈しない年齢でした。

後三条は藤原家の荘園を没収するなどして

徹底的に藤原家の力を削ごうとします。

ただ問題もありました。即位するまでは摂関政治が続いていたので

後三条の后も藤原能信の娘茂子、さらに茂子とのあいだに生まれた

貞仁親王がいました。貞仁にも藤原系の后賢子がすでにいたのです。

そして貞仁が即位して白河天皇となるのですが

これではまた藤原系の天皇であり摂関政治が復活してしまいます。

そこで後三条は貞仁に一旦譲位しますがそのかわりに

自分と源基子との間に生まれた当時2歳の実仁親王を皇太子にたてさせ

自らは実質的な院政を開始します

つまり一度は藤原系の貞仁に位は譲るが

その次の天皇になる皇太子には

非藤原系の実仁親王をたて摂関政治の復活を防ごうとしたのです。

そのために院庁を設置し権力を保持するつもりでした。

ところが後三条譲位後わずか半年で亡くなってしまいます。

その後、白河天皇と藤原賢子の間に男子が産まれました。

善仁といいます。

そうなると腹違いの弟より息子に皇位を継がせたくなるのが

人情ですよね~(≧▽≦)

藤原賢子は善仁が6歳の時に亡くなってしまいますが

なんとその翌年、うまい具合に後三条が皇太子に指名した

実仁親王までが亡くなってしまいしました。

死因は疱瘡って事なので暗殺ではないようですが(^◇^;)

実仁親王には輔仁という弟が居ましたが皇位を渡さない為に

白河天皇はまだ8歳の善仁に位を譲り上皇になりました。

院政の始まりです。

後三条は藤原摂関家から天皇家に権力を奪い返す為に

院政を始めようとしましたが

白河は自分の子孫だけに皇位を継がせたいという

欲望の為だけに院政を始めました。

摂政と関白というのはもともと律令の制度の中に組み込まれた

正式な官位なのですが上皇には法的になんの権限もありません

ただ元天皇で現天皇の父か祖父という権威があるだけです

つまり法律とは関係なく権力を手にしたのが院政なのです

さらに言えば上皇が法律、わがままのし放題って事になりますね。

この白河上皇がまた欲望の固まりのような人物でした

白河上皇は出家して法皇と名乗りますが有名な言葉に

「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」

というのがありますね。

賀茂川の氾濫、双六の目、比叡山の僧兵。この三つ以外は

すべて思いのままになると言う意味です。

善仁親王が即位して堀河天皇になったのですが

その堀河天皇は残念ながら若死にしてしまいました。

すると白河は孫でまだ5歳の宗仁親王を即位させ

鳥羽天皇とします。

この鳥羽天皇が16歳の時に待賢門院が中宮として入内してきます。

すると白河はこの待賢門院に手を出し孕ませちゃいました(*`ロ´ノ)ノ

孫の嫁と不倫しちゃうんですからさすが白河法皇です(滝汗;)

こうして生まれたのが顕仁親王、後の崇徳天皇です。

もちろん正史にそんな事はかけませんから

系図上は鳥羽天皇の皇子ってことになってます

しかし「古事談」には次のように書いてあります

待賢門院は白河院御猶子(養子)という資格で入内せられた。

その間に法皇は密通せられた。これは誰も知っていることだ。

崇徳院は白河の御胤子(実子)という。鳥羽院もその由ご存じで

叔父子と呼んでおられた。

ヒェ━━━━━(;゚;д;゚;)━━━━━!!鳥羽天皇も知ってたんですね

知っていて自分の子として育てたって・・・

怖い世界ですね~

市原悦子に家政婦として潜入してもらって報告して貰いたいです

長くなったので後半はまた明日にでも~


あ~疲れた

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プロフィール

ティーグ

Author:ティーグ
千葉県在住のへっぽこ釣り師です。
なかなか釣行出来ませんが行きたい気持ちでいっぱいです。釣り場で見かけたら一声かけてやってください,喜びます(笑)ただしへっぽこなのでタックル,仕掛けについての質問は厳禁です(滝汗;)
アドバイスしてやってくださいませm(_ _)m

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